合格するために勉強する?~プレッシャーとの戦い

当たり前のことですが、子どもたちは、行きたい学校に合格するために勉強していると思います。

子どもはあまり勉強しない

小学6年生の子どもですから、努力するといっても、大人からみれば、まだまだです。

友達と遊ばずに、学校から帰って来て机の前に座るだけで、子どもにとっては「努力している」ことになるのかもしれません。

長男コウは、そんな感じでした。6年になってからも、勉強していたはずの机の下から絶え間なく何冊もの本が出てきました。

塾の宿題すらこなせない時には、すごく怒ってしまったこともあります。

もちろん、読書は悪いことではありませんが、優先順位を間違えているし(多分)、受験本番に向けて、子どもなりの最善の努力をして欲しいと思っていました。

6年の秋頃、長男コウはまだまだ本気になっていないように私には見えました。

そもそも平日の塾の授業には通ってないし、その分の宿題もないのです。通常の塾生の半分ぐらいの分量+アルファぐらいしか、課題はないはずなのに、それさえも滞りかけていました。

子どもは楽天的

わたしは、コウに

「なんで、もっと一生懸命やらないの?」

とたずねたことがあります。コウの答えは

「成績に余裕があるから。合格さえできればいいから、そんなにがんばらなくていい。」

というものでした。

この答えは私には衝撃的でした。

失敗と挫折だらけの人生をおくってきた私にとっては、失敗したり、思い通りに行かなかった時に、後から後悔しないために、今、最善を尽くすのが当然だったからです。

よくよく考えてみれば、長男コウの答えは、失敗も挫折も知らない人のまぶしい💡自信満々の考えです。まぶしすぎっ☀

一応、老婆心から、

成績に余裕があっても、不合格はあり得ること

不合格になった時に、後から振り返って

「ああ、あの時、もっと努力していれば」

と後悔するよりも、

「ぼくは、あの時、精一杯頑張った。あれ以上の努力は出来なかった。」

と思って、前に進むことが出来るように、今、最善の努力をするべきだと、伝えましたが・・・伝わったのでしょうか?

まあ、わたしの考えは後ろ向きですね。

合格するために最善を尽くすのではなく、

たとえ不合格になっても後悔しないために最善を尽くすのですから。

子どもは楽天的です。

そのせいで、あまり勉強しないのでしょう。

子どもにとっては、自分が頑張ったかどうかよりも、受験番号が素数かどうかの方がずっと重要なようでした。

親にかかるプレッシャー

中学受験で第一志望校に入れないことぐらいで、子どもの人生に大した影響はないことは重々わかっているつもりでした。

それでも、秋以降のテストの成績を見るのは毎回、恐怖でした。

長男コウがあまり勉強していないこと。

周りのみんなは追い込みの時期だから、必死に勉強しているに違いないと、考えていたこと。

などから、ものすごく成績が下がるのではないかと懸念していたためです。

結局、成績は下がらなかったのですが。

やはり、親が判断して、必要だと思う分しか塾の授業をとっていなかったので、そのプレッシャーはかなりのものでした。

不合格になったら、全部、私の責任ですから。

6年の秋頃、まずは、全落ちをして、近所の公立中学に通うことを覚悟しました。

そうしないと、先へ進めませんでした。

それから、長男コウが志望校に合格するに違いないと、信じるように努力しました。

それでも、お正月を過ぎて、前受けの愛光の受験が終わった頃から、食欲はまったくわきませんでした。

そんな状態でも、子どもの前では、普通にすごさなくてはなりません。子どもにプレッシャーをかけないために。

そこで、わが家では、入試直前の1週間は、毎晩、夕食はうどん鍋でした。うどんなら何とか私も食べられたのです。

入試直前の1週間は長男コウも頑張りました。この時期には机の下から本が出てくることはありませんでした。

子どもが本気になる時期は、本当に遅すぎます。

まさかの不合格

どんなに、合格を信じて努力しても、成績に余裕があっても、やはり、まさかの不合格はあります。もちろん割合は少ないのですが。

映画のファインディングドリーでの、ドリーのセリフにもあるのですが、

「思いがけない出来事(アクシデント)の先に、思いもよらない素晴らしいことがある」

まったく、その通りだと思います。

不合格になれば、思い描いていた学校での生活は得られませんが、その代わり、自分では思い描くことさえしなかった素晴らしいことが得られるはずです。

そのギフト(素晴らしいこと)を受け取るために、前を向いて進まなくてはなりません。

わたしは、そのためにも、後悔が残らないように、今、最善を尽くすべきだと思うのです。せめて、親だけでも。